ソトー100年史 1923-2023

43 工場を岡本工業に転用 1945(昭和20)年、戦局はいよいよ最終段階に至った が、当社の経営は比較的順調に推移した。加工賃はやや 減少したものの、2万2,000円の利益を上げた。しかし、期 末に軍当局から工場の一部を軍需工場に転用すべし、と の命が下った。同年6月、東海北陸行政協議会長から工 場転用の命を受け、6月3日、名古屋の岡本工業株式会社 と工場賃貸契約書を締結し、6月28日に行われた戦前最 後の第45回定時株主総会で承認を得た。同社は「ノーリ ツ号」の名で知られる名古屋の自転車製造会社であった が、当時は軍需工場として航空機の車輪や部品を製作し ていた。当社は緊急疎開転用工場の指定を受け、起毛工 場を除くほとんどの工場と変圧器、電動機などを岡本工 業に貸与した。また、取り外した起毛機以外の生産用機 械の大部分を大同毛織に賃貸し、当社は起毛専門工場と して軍用毛織の起毛を行うことになった。かつて90人い た従業員は徴用や応召などで32人に減っていた。 こうした苦難のなか、わが国は8月14日にポツダム宣言 を受け入れ、ここに戦争は終結した。 第2章 │ 蘇東興業の誕生と戦時下の経営(1924~1945)

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