ソトー100年史 1923-2023

42 ながら指定生産の確保に努めたが、生産は整理加工も染 色も大幅な低下を余儀なくされた。絨氈部も輸出および 国内向け羊毛小型フェルトを製作して好評を得たが、原 料や資材不足で一部しか運転できなかった。石炭が亜炭 に変わったため、亜炭粉砕機を購入したほか、輸出絹織 物染色業許可申請書を商工大臣に提出し、1942年10月 30日に工場設備の許可をとった。 絨氈部と中部製絨の合併 1943(昭和18)年、戦局は悪化の様相を呈し、繊維業 界も軍需作戦との一体化が図られた。航空機の部品製作 用として金属の回収が指示され、当社も軍用毛布整理に 使う染整機以外の設備を供出せざるをえなかった。 1943年4月23日、当社にとってもう一つの企業合同と なる当社絨氈部と浜松の中部整絨株式会社との合併が 協議され、同年6月、両社の代表取締役ならびに監査役に よって調印された。当社は絨氈部門の機械設備を現物出 資し、同社の株式1,200株の交付を受けた。同年9月20 日付で合併し、10月1日に登記を完了した。 1944年になると戦況はさらに悪化し、原材料不足、人材 不足は深刻度を増したが、当社は比較的好調を維持した。 第2章 │ 蘇東興業の誕生と戦時下の経営(1924~1945) 当社へ派遣されてきた学徒動員の学生たち

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