ソトー100年史 1923-2023

24 出始め、1897(明治30)年に「尾西織物整理組合」が結 成され、質の高い仕上げの研究が本格化した。しかし、明 治末期から大正初期にかけての毛織物の生産技術の発 展と比べ、整理技術は遅れており、大手機業家のなかには 自ら海外から整理機械を取り寄せるところも出てきた。そ うしたなか、機業家の間では近代的な整理専門業者の出 現を望む声が高まり、それに応えるかたちで1911年、起 の艶金が新たに機械を導入し、整理の仕事を引き受ける こととなった。 工毛会の誕生 1914(大正3)年に第一次世界大戦が始まり、戦争需要 による好況が続いたものの、戦火が収まると不況に陥り、 その影響は尾西の織物業者にも及んだ。1920年には世界 的な経済恐慌が発生し、機業の休業、倒産が相次いだ。 これを教訓として、尾西の機業家の間で原糸の円滑な 流通や安定した取引を目的に結束を高めようという機運 が生まれ、1922年10月に工毛会が結成された。 結成にあたっては、尾州への輸入毛糸の供給を一手に 引き受けていた三井物産名古屋支店が積極的に動き、当 初のメンバーは、稲沢の水谷宗次(水谷工場)、起三条の 山本直右衛門(山直工場)、同鈴木鎌次郎(鈴鎌工場)、 起の小川留三郎(小留)、起町小信の長谷川伊蔵(長谷 川毛織)、三条の山内市重郎(山内織物)、起の後藤辰一 郎(毛織物問屋・国島商店)の7人であった。のちに、三条 の渡辺玉三郎(渡玉工場)も加わった。 工毛会では毛糸市況を研究しつつ海外から原糸を直 輸入して市場操作にも乗り出し、工毛会の経済的安定を 第1章 │ 創業前史と一宮整理の時代(~1923) ■起の起源 旧起村は興、屋越、小越、小起、起な どと書かれるが、俗に、伊勢の国長島 の絹屋が当地に移り住んだので絹屋 越し、すなわち絹屋起となったといわ れる。尾張名所図会には「むかし八 丈絹を当村より織りだし朝貢にもし 又諸国へもあがてり、庭訓往来に尾 張八丈とある名産なり(中略)村名を 絹屋起というもむかしの名残の里の 名なるべし」と記されている。しかし、 起町史などによると「興」が正しく、興 も起も同じ意味で、絹屋が発達した 新興地であろうとされている。

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