25 図りながら糸の安定供給を支えた。 2.一宮織物製整設立の挫折 一宮織物製整の発足 明治から大正時代にかけ、尾西における毛織物整理は 艶金が一手に引き受ける状態であったが、第一次世界大 戦(1914~1918)後の復興で毛織物の生産が急激に増 え、艶金1社では対応できなくなっていた。そこで有力な 機業家や問屋の集まりである工毛会が中心となって、整 理工場をつくろうという機運が盛り上がった。設立準備 は1922(大正11)年から始められ、鈴木鎌次郎や片岡春 吉、三井物産名古屋支店の木田朝次郎、日本毛糸の高木 四郎の支援も得ながら、「一宮織物製整株式会社」の 設立を決め、株式の募集を開始した。 思いがけない挫折 株式の募集は起、奥町、一宮の機業家を中心に進めら れ、1922(大正11)年9月には額面50円の1株につき20 円の第1回払い込みが行われ、32人の株主から合わせて 1,020株、2万400円の払い込みがあった。構想が着実に 進んだことで、高木は新会社ができ次第日本毛糸を退社 して新会社の経営に専念し、稲沢の水谷宗次が社長に就 くことになっていた。 ところが設立を目前にした1922年秋、この二人が突 然病に倒れるという事態が起こってしまった。水谷は翌 1923年1月に48歳の若さで他界し、高木は腸チフスにか かって3か月の入院を余儀なくされた。 第1章 │ 創業前史と一宮整理の時代(~1923) 一宮織物製整株式会社株式払い込み (大正11年8~9月)
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