ソトー100年史 1923-2023

34 落、需要の減退に加え、同業者が増えたことによる工賃競 争の激化により当社でも数量で前年同期比23%強、売り 上げで37%強の減額を余儀なくされ、2,873円の赤字と なった。4期続いた優先株8朱の配当も一転して無配とな り、新設備機械の導入や漂白工場の建設、自家用電力設 備の設置が見送られた。 増える従業員 昭和初期、事業の拡大に伴い従業員の数も増えていっ た。当初は100人程度であったが、輸出ものを手がけるよ うになってからは人数が増え、1930(昭和5)年ごろには 本工が250~260人、臨時工が40~50人の計300人ほ どに増えていた。そのほとんどは男子で、勤務は朝6時から 夕方6時までの12時間勤務が一般的であった。工場の職 制は技工心得、技工、組長、主任心得、主任(整理部長)、 工務長心得、工務長となっていた。 なお、当時は以下の標語が唱えられていた。 一.ソレ不注意が疵を生む 一.注意欠くれば疵となる 一.疵は利益を削るカンナと知れ 標語は社員の発案によるもので工場の各所にポスター として貼られた。 第2章 │ 蘇東興業の誕生と戦時下の経営(1924~1945) そろいのユニフォームで(昭和4年10月17日工場裏手)

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