ソトー100年史 1923-2023

39 が続出する事態となった。赤字にはならないものの利益が 出ず、業績は振るわなかった。仕事量は超繁忙であったも のの、営業成績は同業と比べても不振であった。 不振の原因をヒト、モノ、カネの観点から追究したが、 最終的には技術・管理の両面で十分なレベルに達してい ないことが最大の要因となっていることが次第に明らかに なってきた。セルの時代から服地の時代となり、風合いが より重視されるようになり、なおかつ後染めが主体であっ たため、技術面の立ち遅れがクレームの原因になってい たのだった。 津島出張所の開設 尾州における毛織物は当初、尾西地区より津島のほう が毛織機業の先進地であり、昭和の初めごろでも勢力は ほぼ互角であった。同地区には創業以来多くの顧客がお り、何らかの拠点を置く必要が生まれていた。そこで1927 (昭和2)年4月、津島出張所を開設した。初代の責任者 は村上房吉であった。 社員は当初村上のみ、のちに2人となったが、受注反は サージ、セルのW幅が主で、白生地の後染めがほとんどで あった。得意先は佐屋町の大野毛織、清水毛織、永和村 鹿伏兎(かぶと)の立松、津島町愛宕の松永毛織、阿古川 町の大鹿半三、日光町の吉原紡績、三興毛織など50軒ほ どであった。 第2章 │ 蘇東興業の誕生と戦時下の経営(1924~1945) ■風合い 風合いとは、一言でいえば、織物の 手ざわりのこと。実際、毛織物は、艶、 色、柄などの視覚的な判断だけでな く、手で握ったり指先でもんでみて、 織物の曲げやすさ、伸びやすさ、硬 さ、腰の強さ、柔らかさなどの総合判 断でその品質が評価されている。重 要なのは含有水分の量で、その多寡 によって、肉がある、腰がある、張りが あるなど、さまざまな表現がなされて いる。 津島出張所所長・村上房吉

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