47 繊維業界においても1946(昭和21)年、連合軍総司令部 から羊毛7万7,350俵が民需用に放出され、同年11月か ら繊維産業再建3か年計画がスタートした。 1946年4月29日、当社は操業の一部を再開し、復興建 設事業の大半を完成させ、同年6月中旬に全工場の復旧 作業を完了した。整理加工2セットによる本格操業を開始し たのは6月12日であった。1946年下期の第48期は、会社 経理応急措置法の施行によって6月1日から8月10日まで の50日間の決算となったが、4,600余円の利益を上げた。 2.設備の拡充と社内体制の整備 設備の拡充による業績の伸長 1948(昭和23)年、インフレが進み、資材の高騰と人 件費の膨張、金融の逼迫など困難な状況が続くなかで当 社は当時としては高い生産性を維持して業績を伸ばし、 利益を増加させていた。それに伴って社内の設備の整備 を進め、乾燥機の増台や工場と老朽化した設備の改善・ 新築を行った。同年7月末に入荷倉庫97.6坪、9月に出荷 倉庫66坪、高さ130尺(約40m)の煙突を増築し、11月 にはコンクリート塀244間(約444m)と舞台付食堂82.8 坪を新築した。さらに乗用車ポンティアック1台も購入した。 社内の諸規則の整備も進めた。1947年9月にさかの ぼって施行された就業規則、1948年3月1日の寄宿舎規 則、同ミシン使用心得などが整備された。 1949年7月21日には木造モルタル塗り、セメント瓦葺 き2階建て、延べ128.6坪の新事務所を完成させた。この 間、当社は急速に業績を伸長させた。 第3章 │ 事業環境激変のなかでの急成長(1946~1962) ■愛知県下の整理会社 昭和20年当時の整理工場をみる と、戦前、一宮市、中島・葉栗両郡を 含む尾西地方で10社を数えていた のが、終戦時には当社を含め、わず か4工場となり、愛知県全体でも12 社13工場にとどまった。
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