ソトー100年史 1923-2023

50 時株主総会で300万円の資本金を一挙に1,500万円とす る決定を行った。9月13日現在の株主に対し、その所有株 式1株につき新株式4株の割合で割り当て、払い込み期日 は11月10日とした。11月25日に株主総会で第4新株募集 の報告がなされ、新しい資本金1,500万円が確定した。 同年12月3日、高松宮殿下が大同毛織稲沢、三条工場 の視察を兼ね、当社に来社された。役員の案内で工場の 各工程を見学され、記念撮影の後、事務所東側の寄宿舎 前で松の植樹を行われた。 3.名古屋証券取引所に上場 株式の上場 1950(昭和25)年頃から戦後のインフレが収束し始 め、各種の統制も次々と撤廃されていった。毛織物関連で は、羊毛製品の配給統制の撤廃、原毛の民間買い付けの 再開、羊毛の外貨資金割当制の実施、羊毛製品の価格 統制の撤廃、同輸出リンク制度の発足、羊毛工業の設備 制限の撤廃が行われ、純毛梳毛の価格高騰による勧告 価格の実施、同基準価額の設定などがみられた。 整理業界においても同年5月1日から毛織物、スフ織 物、輸出毛織物の染色整理加工賃および原糸の染色加 工料金の統制額が撤廃された。また、毛糸、毛織物の販 売価格、織物工賃の統制額の撤廃などもあり機業は次第 に活発化した。同年6月に朝鮮戦争が勃発し、これによる 特需ブームが発生したものの、自由競争のあおりを受けて 加工料金は伸び悩んだ。 そうしたさなかの1950年4月の取締役会で株式の上場 第3章 │ 事業環境激変のなかでの急成長(1946~1962) 高松宮殿下御来社記念 ■ 当社株式の幹事会社 「とみや証券」 当時、とみや証券は丸栄百貨店内に あった。社長の後藤氏は中島郡の出 身で、大同の栗原社長が愛知県に疎 開中に日銀名古屋支店長の高梨氏ら と毎月13日に集まる「十三日会」が できたが、その世話役をしていたとい う。この集いの名から社名の「とみや」 が生まれたのであるが、当社もこのつ ながりから同社に幹事会社をお願い することになった。

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