ソトー100年史 1923-2023

第0章 │ □□□□□□□□□□□□□□(~0000) 75 換した。修整業のヒルダメンディングも、1980年10月21 日をもって、商号および営業権の一切を岐阜県揖斐郡揖 斐川町の杉原一嘉に無償で譲渡した。同社が保有する建 物付帯設備、機械装置、備品などを無償で貸与し、当社 が貸していた建物、備品などの固定資産も一時的に無償 貸与、社員もそのまま継承してもらうことになった。 1970年代後半に入ると、パンタロンやロングスカートな ど布地を多く使う婦人物衣料の流行によって市況は徐々 に明るさを取り戻し、当社は第1次オイルショックによる不 況から抜け出すことができた。 第2次オイルショックの発生と省エネ運動 1978(昭和53)年12月、イランの政変を機に再び石油 需要が逼迫し、原油価格が急上昇、第2次オイルショック が発生した。この影響から当社の業績は大きく落ち込み、 1980年には営業利益が赤字に転落してしまった。赤字 の要因は急激なエネルギー費用の増大と労務費の高騰 だったため、再びエネルギー問題に取り組んだが、社内だ けでは解決が困難との判断から、幹部社員の教育を担当 していたコンサルタント会社の株式会社ジェムコ日本経 営に、省エネの実践コンサルティングを依頼した。1980年 3月末に同社と契約し、約3か月にわたってコンサルタント の現場視察、ヒアリングを経て削減案を決定した。 1980年9月、省エネルギープロジェクトチームを結成 し、以後、8か月余りにわたり省エネ活動を展開した。プロ ジェクトは推進委員会を中心に、具体的な方策の企画提 案を行うSECT(ソフト・エネルギー・コンサベーション・ チーム)とそれを各部署でテストする実行委員会、事務局 第5章 │ オイルショック後の経営改革と計画経営の開始(1974 1988 指導を受けるSECT

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