ソトー100年史 1923-2023

第0章 │ □□□□□□□□□□□□□□(~0000) 81 れた。そうした強みと弱みを把握したうえで、素材・トレン ドの急激な変化と多様化に対応できる技術力、瞬間的な 大量受注にもスムーズに対処できる生産システムの構築 を、経営の重要課題として定めた。こうした考えのもと、① 営業力の強化、②マーケティング強化と市場開発委員会 の設置、③染色技術の向上と整備、④社員の意識改革・ 能力向上などを目標に設定した。 このうち社員の意識改革では、管理監督者の教育、QC 活動の一層の促進、公平な人事制度の構築、よりよい労 使関係の確立などを具体的なテーマとした。 最終年度となった1985年まで、本計画にしたがって着 実に施策を実施していった。 工業用水への転換 1 9 5 9(昭和3 4)年9月の伊勢湾台風以来、被害の あった木曽川の河口周辺部で地盤沈下が激しく進行し、 1960年代後半になってその主な原因が、上流での大量 の地下水の汲み上げにあることが発表された。なかでも、 尾西市をはじめとする木曽川の南側一帯で大量の地下水 が工業用に使われており、地盤沈下を防ぐためにも地下 水ではなく木曽川の表流水を使うべきとの提言が行われ た。これに基づき1975年7月、国と愛知県による合同説明 会が行われ、各企業関係者に対し、正式に工業用水の導 入が要請された。 尾張工業用水道事業と名付けられた本計画は1977年 から1979年まで工事が進められ、給水地域は尾西市(現 一宮市)、一宮市、津島市、江南市、稲沢市、清洲町(現清 須市)、木曽川町(現一宮市)、飛島村、祖父江町(現稲沢 第5章 │ オイルショック後の経営改革と計画経営の開始(1974 1988 尾張工業用水道 濃尾第二頭水口 (中島郡祖父江町)

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